自己紹介

2004年楽院祭にてピアノ演奏

都内下町、谷中の生まれ。
実家は、豆腐屋で朝は味噌汁、昼はヤッコ豆腐、夜は湯豆腐と、お豆腐無しの日は1日もなく育ちました。 忙しい時は、お豆腐の配達もし店番も家にいる時は、必ず手伝いました。

22歳で結婚。
23歳で長男、25歳で次男を出産。
50歳ごろから、少しずつ視力がなくなり、今では、全盲です。

私は、下町生まれなので、ちょっとおっちょこちょいな所があり、もっとおしとやかにしたいと思いながらも、 いまだに治りません。今は、生きていてよかったと思えるような世の中になるよう、 障害者活動に力を入れていきたいと、思っています。 それに何事も、半分楽しみながらの活動を、モットーにしています。

父は、元気で働き者。
頑固な父でしたが、主人が亡くなり、息子達も独立して、 私の目が見えなくなってからは、時々私の家に来て、手を引いてくれ、あっっちこっち行った事、よい思い出です。 もう、父も母も、あの世です。

母の自慢をします。
辛い事、嫌な事があると、毎日電話で、おいしい物を食べるのよ、歌を歌 って暮らすのよ、早く嫌な事を忘れなさいといつも励ましてくれました。 明治生まれの母ですが、自慢の人です。 この言葉を引き継いで行きたいと、思っています。

そして、お付き合いをしている方にも恵まれています。 ですから、目に見えない、宝物を沢山持っていて、誰よりも幸せ者だと感謝しています。

毎日、なんだかんだと、声を掛けられ、盲人でも、スケジュールいっぱいで、うれしい悲鳴の毎日です。 そして、福祉会の会長さんがいつもいつも、体に障害があっても、心だけは障害者にはならないようにと、 教られました。この言葉も、大事にしています。

何事もいい加減(厳しすぎず、楽すぎず、いいアンバイの事)の人生を、楽しんで行きたい私です。 どうぞ、宜しくお願いします。